シンママを選んだ理由 2
旦那のモラハラは毎日続いた
娘がようやく眠りについた頃寝室にきて
「起きろ、こいつはオレといると寝ないでいつも遊んでる。ほら起きろ遊べ」
と娘を起こし、次の日仕事があっても
「オレはこいつといるとき寝てないんだ。起きろ」と寝させてくれなかった
一睡もしないで仕事に行くこともあった
娘をこんな旦那に預けて自分は仕事をして
娘に申し訳ないのと、こんな旦那に頼らないといけない自分に腹が立った
そして職場の上司に夜勤を免除してほしいと申し出て2か月後から回数を減らしていくことになった
それから数日後、私が夜勤を控えた日、さっき仕事に行ったばかりの旦那が突然帰ってきた
旦那はオーナーに解雇されたのだ
その時会話はしなかったがクビになったとすぐに悟った
仕事には熱心だったが、同僚とうまくいっていないことは日ごろの暴言の内容からわかっていた
私は時間の問題だと思っていた
以前は転職も促したこともあったが給料がよかったせいもあってそこで働き続けていた
旦那は仕事を失い、どんどん酒の量は増えていった
旦那は仕事を探すこともせず、一日中うちにいてテレビを見ながら酒を飲むか寝るかほぼどっちかだった
そのまま2か月…3か月…と過ぎて行った
もちろん生活費は赤字。貯金を切り崩して生活していた
ここでの生活は無理だと思った
旦那の実家に帰らないか提案したが乗り気ではなかった
実家なら家賃もかからないし、田舎でゆっくり休養して、それから再スタートしてみないかと言っても返答はなかった
そんなある日、旦那の機嫌を損ねたときがあった
買い物から帰ると鍵が閉まり、内側からチェーンがかけてあった
本当に頭にきた。こんな旦那を支えるなんて到底できないと心の底から思った
そのとき離婚を決意した
そのあと夜勤を娘を隣町の24時間保育をしている施設に預けることにした
そこは会員のパスワードがあればネットで保育園の様子や、要求があれば子供の様子も映してくれるというところだった
あんな酔に溺れている旦那に預けるよりは安心だと自分に言い聞かせ、預けに行った
娘にはかわいそうなことをしたが、娘は以外にも泣くこともなく、眠って、朝は保育園の子供と一緒に遊んでいたようで安心した。でも娘に対しての罪悪感は常にあった
母に相談すると「もういいんじゃない。帰っておいで」と言いてくれた
正直反対するかと思っていた。
なぜなら以前母は親戚が離婚した際に”離婚は子供のためには絶対するべきではない”といっていた事があったからだ
だが「ママが笑顔じゃないのに子供が幸せになるわけない」と言ってくれて、離婚を後押ししてくれた
それから離婚の準備、実家に帰る準備が始まった
まず職場の上司に退職したいと告げ、理由をありのまま話した
職場の上司は
とても理解のある上司で、親身になって聞いてくれた
「私もあなたの親の立場ならすぐに帰ってきなさいと言うと思うわ」と言ってくれた
この人がいなかったら今の生活はなかっただろう
早急に部長に退職したい意向を伝えてくれたが、中途退職ではなく4月まで待っての転勤なら良いとのことだった
その時はまだ12月。娘がまだ物心がつく前に一日でも早く帰りたかったが、母子家庭になるのに仕事を辞めてしまっては生活に困るだろうと、転職を進められた
正直仕事は今の仕事ではなくてもよかった。娘と生活できるお金さえあれば仕事は何でも良いと思っていた
そして旦那のモラハラはエスカレート
だが旦那には知恵があった。旦那の友人の話だが、友人は夫婦喧嘩の際、嫁に手を挙げていたらしく嫁が夫の両親に、DVにあっていたとアザの写真を突き付け、謝罪させたことがあったらしいのだ
暴力すれば証拠が残ると学んだのか、私には一切手を挙げなかった
それが私には辛かった。暴力でも振るってくれればDVとして警察に届けられるのにと思った
モラハラは目に見えない分、被害を伝えにくく、相談もできない。そんなの夫婦にはよくある喧嘩だと思われればそこでおしまいだ
だから、自分のことは自分で解決しようと着々と準備を続けた
転職先の近くの賃貸物件を探し始めたり
今住んでいる賃貸の引き払いの準備
役所に行って離婚の方法や使える制度など聞いたり
子連れ離婚を考えたときに読む本を読んで離婚に関する法律などを学んだ
そして1月の中旬事件は起きた…