パパ 

娘に離婚の事をどう伝えるか

 

娘はスーパーに買い物にいってもパパが飲んでいたビールを見れば

「パパのだから買おう」と言ったり

パパのと同じ車を見れば

「パパの車と一緒だ」と言ったり

パパがよく聞いていた音楽を耳にすれば

「パパこの歌うたえるよね」と言ったりしてました

旦那はいつも鬼の形相で私や娘を怒鳴っていて

良いパパの姿を見る方が少なかったように思っていましたが

娘には良いパパの思い出しかないようです

当時は娘も「パパ怖い」と毎日のように言っていたのに…

 

パパは一人しかいないもんね

娘にとってパパは「優しいパパ」だった

これは悔しいけど事実

そして大好きなパパには変わりない

大好きな人と離ればなれなんて

大人にだって悲しいのに

こどもなんてもっと悲しいはず

どう伝えるべきか

これが正解っていう伝え方があったら教えて欲しいけど

そんなのない

でも嘘をつくのはいけないからありのままを伝えた

娘には「遠くのお仕事にいって、ずっと会えないからお家もバイバイしたし、パパともバイバイしたの。だからお名前は〇〇じゃなくて、△△。ママのお名前と一緒になるの。△△◆◆ちゃん」

と話した。

娘は「パパ遠くに行っちゃったの?お仕事?パパに会いたい」って

パパに会いたいと言うとはわかっていたが

会わせたくないし、なにするかわからないから合わせられない

「ママは今パパに会えない。◆◆ちゃんにも会ってほしくないな。でも大きくなって、一人でいろんなところに行けるようになって、その時パパに会いたいって思ったら会いに行けるよ」って伝えると

「わかった」って意外にも受け入れてくれた

名前が変わることも、はじめは戸惑っていた感じだったが

「前は〇〇◆◆ちゃんで、今は△△◆◆ちゃん」と言うようになった

昔の思い出の話時は「〇〇◆◆ちゃんの時に行った公園」と言っている

なんか考え方が私よりちゃんとしてるっていうか

割り切ってるっていうか

すごいなと思った

 

今ではパパの話をすることも少なくなった

でも保育園やいろんなところで他の子がパパと接しているのを見ているから

口に出さないけどいろんなこと考えたり感じたりしているんだろうなと思う

そうしてしまったのは私なのだから

パパの役割はパパにしかできないけれど、

ママができることはできるだけしてあげたい

毎日忙しいけどたくさん思い出つくろうね

 

シンママ選んだ理由 3

いつものように2階の寝室で娘を寝かせていた

旦那はいつものように酒を飲み、テレビを見ながら

気に入らないことをそのまま口にだしていた

 

娘がちょうど寝たときだった

旦那が勢いよく階段を上がってくる音が聞こえた

何かされると思い私は寝たふりをした

寝室の扉が勢いよく開いた

目を閉じていたが、旦那が扉の所に立ち、こちらをうかがっているような感じがした

しばらくその場に立っていた旦那はベッドに近寄ってきた

すると

シャリーンと金属が落ちたような音…

旦那は何かをベッドの下にすべりこませたのだ

そして旦那はそのままベッドに横になった

私はその音の正体が包丁だとすぐに感付いた

私は恐怖で逃げ出したかったが、今動いては何かされると思い、そのまま寝たふりをしていた

じっと寝返りもせずただただ眠りにつくのを待った

しばらくして旦那は眠りについたようだが、真っ暗な中本当に寝たのか確信が持てるまで待った

そしていびきが聞こえようやく寝たことを確信したわたしは

携帯を開いた

もう2時間経過していた

そしてベッドの下を携帯の明かりで照らした

そこにあったのはやはり包丁だった

それも旦那の仕事用に買って台所の棚にしまっていた出刃包丁だった

あえてこれを選んだということは…

そう考えるとこのままだと本当に最悪な結果になるかもしれない

そう思った私は布団の中で実家の母にメールした

深夜にも関わらず母は連絡に気づき返信してくれた

「今は刺激しないで、朝まで寝ていなさい。今動くと危ないから。大丈夫だから」と

恐怖の中夜が明けるのをじっと待った

 

そして夜が明け、数日分の着替えと通帳と判子を段ボールに入れ

娘を保育園に預けた。保育園には旦那が来ても娘を引き渡さないように伝えた

私は出勤しすぐに上司に昨日起きたことをありのまま報告した

上司はすぐに部長に報告してくれ

「そのまま実家に帰りなさい。部長から許可が出たから。年休や有給・育児休暇を全部使って3月までどうにか休みにしてもらえるよう手続きしてもらっている。準備でき次第帰りなさい」と話し、いろいろと手配してくれた

そして書類にサインをし、職場に挨拶を済ませて、娘を迎えに行った

段ボールの荷物は宅急便で実家に送った

車をアパートの駐車場に置き、雨の降る中バス停まで娘と歩いた

娘はその道中、お出かけできると嬉しがっていた

そして新幹線で実家へと向かった…

 

実家についたときにはへとへとだった

少しは気が休まるだろうと思っていたが

いつ旦那が実家に押しかけてくるかわからない

その恐怖で気が休まることはなかった

 

旦那からメールがいくつか届いたが

「どこにいるの?もうお金がない」とか

「食べるものもなくなった」とかそんな内容のメールだった

旦那は手取りの給料だったため

クビになった月分の給料が12月頃郵送で届いていた

20万ほどあっただろう

だから数か月は生きていけることを知っていたし

家賃や光熱費は私の口座から引き落としていたため不自由はないはずだった

それなのにもうお金がないなんて

本当に馬鹿としか言いようがない

娘のことを心配するメールは一切なく、最悪な旦那だと改めて思った

 

私は2月でアパートを引き払うこと、2月20日までに出ていってほしいことだけを伝えた

2月24日両親と恐る恐るアパートへ向かったが旦那はもういなかった

そして荷物をまとめ、引っ越し業者に荷物を託した

旦那が持っていかなかった電化製品や家具はほとんど売り

引っ越し費用の足しにした

 

娘はこのメゾネットのアパートが大好きだったが

このアパートにもバイバイしなきゃいけないという事実を伝えた

理解してくれたかは分からなかったが、泣いたりはしなかった

 

そしてアパートを引き渡し私と娘は両親とともに実家へと帰った

 

 

シンママを選んだ理由 2

旦那のモラハラは毎日続いた

娘がようやく眠りについた頃寝室にきて

「起きろ、こいつはオレといると寝ないでいつも遊んでる。ほら起きろ遊べ」

と娘を起こし、次の日仕事があっても

「オレはこいつといるとき寝てないんだ。起きろ」と寝させてくれなかった

一睡もしないで仕事に行くこともあった

娘をこんな旦那に預けて自分は仕事をして

娘に申し訳ないのと、こんな旦那に頼らないといけない自分に腹が立った

そして職場の上司に夜勤を免除してほしいと申し出て2か月後から回数を減らしていくことになった

 

それから数日後、私が夜勤を控えた日、さっき仕事に行ったばかりの旦那が突然帰ってきた

旦那はオーナーに解雇されたのだ

その時会話はしなかったがクビになったとすぐに悟った

仕事には熱心だったが、同僚とうまくいっていないことは日ごろの暴言の内容からわかっていた

私は時間の問題だと思っていた

以前は転職も促したこともあったが給料がよかったせいもあってそこで働き続けていた

旦那は仕事を失い、どんどん酒の量は増えていった

旦那は仕事を探すこともせず、一日中うちにいてテレビを見ながら酒を飲むか寝るかほぼどっちかだった

そのまま2か月…3か月…と過ぎて行った

もちろん生活費は赤字。貯金を切り崩して生活していた

ここでの生活は無理だと思った

旦那の実家に帰らないか提案したが乗り気ではなかった

実家なら家賃もかからないし、田舎でゆっくり休養して、それから再スタートしてみないかと言っても返答はなかった

 

そんなある日、旦那の機嫌を損ねたときがあった

買い物から帰ると鍵が閉まり、内側からチェーンがかけてあった

本当に頭にきた。こんな旦那を支えるなんて到底できないと心の底から思った

そのとき離婚を決意した

 

そのあと夜勤を娘を隣町の24時間保育をしている施設に預けることにした

そこは会員のパスワードがあればネットで保育園の様子や、要求があれば子供の様子も映してくれるというところだった

あんな酔に溺れている旦那に預けるよりは安心だと自分に言い聞かせ、預けに行った

娘にはかわいそうなことをしたが、娘は以外にも泣くこともなく、眠って、朝は保育園の子供と一緒に遊んでいたようで安心した。でも娘に対しての罪悪感は常にあった

 

母に相談すると「もういいんじゃない。帰っておいで」と言いてくれた

正直反対するかと思っていた。

なぜなら以前母は親戚が離婚した際に”離婚は子供のためには絶対するべきではない”といっていた事があったからだ

だが「ママが笑顔じゃないのに子供が幸せになるわけない」と言ってくれて、離婚を後押ししてくれた

それから離婚の準備、実家に帰る準備が始まった

 

まず職場の上司に退職したいと告げ、理由をありのまま話した

職場の上司は

とても理解のある上司で、親身になって聞いてくれた

「私もあなたの親の立場ならすぐに帰ってきなさいと言うと思うわ」と言ってくれた

この人がいなかったら今の生活はなかっただろう

早急に部長に退職したい意向を伝えてくれたが、中途退職ではなく4月まで待っての転勤なら良いとのことだった

その時はまだ12月。娘がまだ物心がつく前に一日でも早く帰りたかったが、母子家庭になるのに仕事を辞めてしまっては生活に困るだろうと、転職を進められた

正直仕事は今の仕事ではなくてもよかった。娘と生活できるお金さえあれば仕事は何でも良いと思っていた

 

そして旦那のモラハラはエスカレート

だが旦那には知恵があった。旦那の友人の話だが、友人は夫婦喧嘩の際、嫁に手を挙げていたらしく嫁が夫の両親に、DVにあっていたとアザの写真を突き付け、謝罪させたことがあったらしいのだ

暴力すれば証拠が残ると学んだのか、私には一切手を挙げなかった

それが私には辛かった。暴力でも振るってくれればDVとして警察に届けられるのにと思った

モラハラは目に見えない分、被害を伝えにくく、相談もできない。そんなの夫婦にはよくある喧嘩だと思われればそこでおしまいだ

だから、自分のことは自分で解決しようと着々と準備を続けた

 

転職先の近くの賃貸物件を探し始めたり

今住んでいる賃貸の引き払いの準備

役所に行って離婚の方法や使える制度など聞いたり

子連れ離婚を考えたときに読む本を読んで離婚に関する法律などを学んだ

 

 

そして1月の中旬事件は起きた…

シンママを選んだ理由

元旦那とは遠距離結婚

妊娠、出産、産後は実家で暮らした

育児は大変だろうと覚悟していたが、ここまで大変だと思っていなかった

それでも、おむつ交換や、おっぱい、睡眠不足は想定内。むしろ好き

育児休暇中は遠距離の旦那のもとで主婦をしながら子育てを楽しんだ

というのも

旦那にも父親として子育てを通じて愛おしさや責任感を感じて欲しかったから

一緒に住める間は住んだ

 

いずれは一緒に住む予定だったが、仕事も続けたかったし、金銭的に余裕がなかった

そのため仕事はやめずに転勤願を出したが、いつ転勤になるかはわからなかった

 

同居中旦那とおむつ交換や、お風呂を一緒に入れたりしたが

積極的にはやってくれず、強制的にやらせるのもお互い良い気分にはならないので

結局私がほぼすべてやることになってしまった


そして1歳になり育休から仕事復帰

実家に戻り、可愛い娘を保育園に預け、仕事をこなす毎日を送った

そんな日々が幸せだった

そして1歳半の時に転勤が決まり

旦那の元へ引っ越し、新しい職場で働きだした

 

職場内の保育園は定員いっぱいで入れず

家から少し離れた小さい乳児院に預けて働いた

仕事は変則勤務(日勤・夜勤)のフルタイム

夜勤は元旦那が休みの日のみとの条件で働いた

 

帰りはいつも19時ころ

夕食の食材を近くのスーパーに買いに行き、半額のものを買う

帰ってぐずる娘を面倒見ながら夕食を作り、食事、風呂を済ませて寝かせる

旦那は早くて21時過ぎに帰ってくるので

旦那用のおかずをまた作った

旦那は毎日ビールや酎ハイを3L飲んだ


忙しくも充実していた

でも

旦那のもとに引っ越してきてから1か月経たないうちに旦那からのモラハラが始まった

育休中は旦那のところにいて、その頃はたまに育児を手伝ってくれたが

一緒に暮らし始めてからは、夜勤のとき以外は家事、育児はほぼ私一人でこなしていた

夜勤のときは食事の準備や保育園の準備、着ていく服、準備できるものはすべてしてから仕事に行った

それでも旦那にとっては大変らしく帰れば俺は大変だったアピール

今まで娘の世話をしてきていないから大変だと思うのではないかと内心思った

でも口には出さず、ありがとうとしか言わなかった

 

旦那は家にいる間はビールばかり

でも旦那の休日だしあまり口を出してもお互い気分がわるくなるだろうと思い好きにさせた

仕事で疲れているのはわかる、私もそうだから。休みに日ぐらいと。

 

育児のストレスが溜まっているのか

家にいれば嫌味ばかり言われた

仕事を辞めた方がいいなら辞めると言ったが

やめろとは言われなかった。

なぜなら、旦那の浪費がすごく私が働かなければ生活していけないから。

そして酒がどんどんエスカレート

顔つきも恐ろしく、家の中だけではなく、外でも暴れる始末

通りがかりの人にも喧嘩を売ったり、道路におしっこをしたり

最悪なことに娘にまで怒鳴り散らすようになった

それには流石に頭にきて私は逆上したが、はっきり言って無意味だった

 

怒らせまいとある程度機嫌をとるようにしたが

二重人格のように豹変し

私たちが夜寝ていても一人でテレビを見て騒いだり

家の中をめちゃくちゃにしたり

寝ている私に聞こえるように私のダメなことを言ったりして、罵声ばかり

まったく眠た気がしなかった

毎日旦那の暴言を聞いているうちに

徐々に動悸や震え、息苦しさなどのパニック症状が襲うようになり

働いていても耳鳴りや頭痛が頻繁に起こるようになった

 

そして生活費も入れなくなり

私が夜勤の日朝に娘を預けることもしなくなった

夜勤明けに10時を過ぎたころ乳児院に電話し、遅刻登園させた

遅刻すると娘自身が保育園のリズムに乗り遅れるようでかわいそうだった

こんな生活いつまでつづくのだろうと思うと不安だった

旦那は生活費も入れず好きな時に外食に行き、好きな時に帰ってくる

私は身も心もボロボロだった

娘と二人でいる時が一番の幸せだった